2012年10月20日

車庫作り。

新駐車場作り始まる。Nさんが、保存されていた製材を提供してくださいました。純yoromi産の松です。雪で倒れた細めの松しか知らなかったので、重たくて、太い梁が、まさか松だとは思いませんでした。指をかばいつつ、genさんもいて、なんとか運びました。栗の材木も見に行きました。敷地から直接、裏山に伸びる林道なので、ふだん、まず入ることはできない。ていねいに、かといって、そういうことを微塵も感じさせない佇まいの中を登りました。ほんとにきれいにしてるねと、genさん。yoromiにかぎらず、mii地区は全体が手入れ、目入れされたていねいな佇まいです。なにより、どうだ、みたいな感じがしないのです。そういう心性が世界農業遺産なのかな。
 ニュースなどでは、世界がたいへんそうだが、そうした世界よりも、もっともっと広い場所で、十二分に自力で暮らせるご先祖さまとの、直接のつながりがあるのです。たかが、不景気ぐらいなどなんともないのです。そうした笑顔にあふれております。
 おまえらの薄汚れて不安な目で、こっちを限界集落だとか、言ってるんじゃねえよ。もう、手遅れなjusaiですが、そのような暮らし方を少しでも、村の古老たちから、盗み見をしようと思うのだ。遠くのことよりも、近い場所を世界として暮らしていきたい。

ほしい人が見たらよだれを流す?松。

何年も寝かした材です。

重い。
ほんの40年ほど前まで、米と炭と林業、その他で、かなりのお金を得ていたという。ほとんど出稼ぎしなくても、子供をなんとか一人前にできたのだという。そうした事実も、やがては、古老たちが消えることによって、おとぎ話のようになっていくのだ。村は消えていくのだ。原子力村のような不安な目をした連中のつくる無責任そのもののmuraだけは放射線や放射能の消滅と同じぐらい長持ちするのだ。
 いつまでもyoromimuraなんぞと、俺も言い続けることだろう。

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