2012年7月14日

クサカリ。もうちょっとでオワリ。

田んぼを見に行って、軽トラの窓からなにげに見る田んぼと、クサカリでアゼ際から見る田んぼと、クサトリで中に入って見る田んぼは違うんです。心の焦点距離が違うというか。軽トラから見る田んぼには、ほんとうはこうしたかったみたいな理想の姿との対比があります。アゼ際から見る田んぼにはあきらめという、後悔があり、実際に中に入ってしまうと、まぎれもなく、そこにある稲の姿しかありません。もちろん、そのような状態になるためには、理想をあきらめて、今ある姿を受け入れるという短い時間が必要ですが。すべての不手際は記録されずとも、わが心にすべて記憶されています。見事に忘れてしまうのですが、たくさんの不手際の中には、次の年に覚えていることもあります。そのような積み重ねの上に田んぼはあります。田んぼは不手際と効果的な努力の両方ともを、平等に記録していると思うのです。
中央 アオサギ。 yoromi田んぼ街道のどこの田んぼだったか。
中学校の統合の話や、原発問題なども賛成と反対という二層だけでしか話ができないのだとしたら、ちょっと窮屈です。どのような思いも聞く耳を持つということはjusaiのような短絡にはむずかしいのですが。




ばばなき田2。ほんとに草がないんです。
はじめよければあとは、田んぼが勝手にやってくれます。この場合はただの傍観者であります。

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