2012年2月15日

エントツ。

 屋根雪の落下で、風呂場のエントツが傾いた。薪でたく風呂場なので軒にくっつくようにして立っているのだ。煙道と首の皮一枚でつながっていて、かろうじて風呂を沸かすことができた。
街暮らしをしていたころ銭湯をやっていたので、エントツには思い出がたくさんある。昭和十年代に立てられたものを治し治ししながらやりくりしていたものを祖父から受け継いだ銭湯で、半焼に近い火事にもあっていて、焼き物の土管を積み重ねて鉄骨で囲んだ古いエントツはいつも気がかりだった。
一番こわかったのが台風で、台風が発生したとニュースで報道されるとそのことで頭がいっぱいになっていた。進路予想図をニュースごとにチェックして予報円が当地にかすろうものなら、土下座さながら台風がそれますようにと祈るばかりだった。平成のはじめに台風19号というのがあった。九州の北部から日本海の沿岸をなぞるように高速でかけぬけて各地に甚大な被害をもたらした。その時など銭湯を早仕舞いしてフルフェースのヘルメットをかぶって、家の周りから屋根の上までを何度も往復していた。何かをするわけではなく、ただ懐中電灯でエントツを照らすだけなのだが、ただ倒れないでくれと祈るだけだった。当時2才だった長男と妻は熟睡していてあの猛烈な風を知らない。
小さいころの記憶ではめったに台風など来なかったのだが、私が銭湯を継いでエントツのことを心配しはじめてから台風の通過や上陸が増えた。そして奇妙なことに銭湯をたたんで山にこもりはじめてから台風が当地をそれるような進路が多い。今は丘のような小さな雑木山のあしもとに家があり、台風クラスの強風でも風が通らない。
銭湯時代、台風が来る来ないにかかわらず、エントツの定点観測をやっていた。ただ決った場所に立って煙突に向かい合い、エントツが傾いていないか見るのである。祈るようにして見ているからだろうか、微妙な変化に気づく。鉄骨の梁が錆付いていてほんの少し太くなっているとか、瓦の土管の色がほんの少しはげたとか。毎日とはいわないが、ほぼ毎日、多いときには一日何回も、観測していた。客観的に科学的にあるがままのエントツを見るのだと真剣だった。
がしかし、今にして思うのだが、エントツは微妙に北側に真ん中より上は傾いていたように思う。そのことは観測当時もわかっていたのだが、それでは困るので結果を自分自身で捏造して、何の根拠もなく大丈夫だの一言で済ましていたのだった。(いまどきの東京電力とそっくり)職人としての自分は体で傾きを感じていたのだが、文学的な自分は自分に都合のいい筋書きを選んでいたのだろう。
2007年の能登半島地震でエントツの先端が壊れて鉄骨の枠でかろうじて落下を免れているのを見た時、たいへんだあと確かに思っていたのだが、同時にどこかで長年の心配が現実になったことで放心していたのも確かである。
さてよろみ村のエントツだが、幸い高さが2メートルちょっとしかなくて目をつぶっていても登れる。明日村田住職と修理の予定。

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