2012年1月18日

奥の奥の奥能登(原子力発電所を拒否した珠洲市)



 久しぶりに太陽を浴びる。太陽の出ない日々は全然苦痛ではないのだが、どうも自閉してしまうようだ。本来私は当地のネイティブでありますから自らの生きる気象条件に文句を言える筋合いにはないのだが年老いたせいであろうか、あるいはほんの少しばかり当地の外である表日本の冬季の気象条件を知っているせいであろうか、当地はいまさらながらこの季節においては暗いのだなあと思うのだ。

図書館で借りた「奥能登の研究」(和嶋俊二)を斜め読んでいる。こうした郷土史本は、だいたいにおいて、おらが村自慢というスタンスからしか出発できないものなのだが、和嶋氏のテキストにはそうした欲望のかけらも感じられず、読んでいて気持ちがいい。素直に自らの立つ場所の現在を知らんがためには目に見えない歴史をできうる限り正確な資料(テキスト)だけを元に見なければならないことを教えられます。正確な資料というのがくせもので、極端に言えば平氏の歴史が源氏の手にかかるように、時の権力の影と切っても切れないことを忘れてはならないと思うのだが、氏はそのことと同時に自分の研究の成果も同様な結果をもたらすことをも視野に入れているように思う。(斜め読みですが)
古代、半島や大陸との交通の要所であった土地の知的伝統であるのかもしれない。どう考えても経済的、政治的、文化的に拒否することは不可能であると思われていた原子力発電所の計画を自前で吹き飛ばしたのが珠洲市である。珠洲市をはじめ中世以後、急速に裏の裏、奥の奥に追いやられた能登各地にはテキスト化されていない生の心性が現在を生きる人のどこかに仕舞われているのではないかと思い嬉しくなったりしております。
もっと奥に探求を進めるならば思いもよらぬことを発見するのではないかと思う。

立て掛けてあった板に何かの巣であると思われる。ここは彼らにとっての土地でもあるのだ。


奥能登の研究―歴史・民俗・宗教/和嶋 俊二

¥8,925
Amazon.co.jp

0 件のコメント:

コメントを投稿